5区 (パリ)

パリ・5区の位置
地図
パリ・5区の位置

パリ5区 (5く、: 5e arrondissement de Paris)は、フランス首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである[1]。第5区、パリ5区ともいう。市のほぼ中央、1区の南東に位置しており、セーヌ川の南岸に面している。

概要

パリの5区は、市のほぼ中央にある行政区。「パンテオン区 (Arrondissement du Panthéon)」と呼ばれることもある[2]セーヌ川の南岸に面しており、シテ島東部とサン=ルイ島の対岸にあたる。人口は、58,849人 (1999年。人口の推移等詳細については後述)。

Place Paul-Painlevé (ポール・パンルヴェ広場, ソルボンヌ地区)

区の名称は、市の中央部から時計回り螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその5番目にあたることから、「5区」と名づけられた。5区から6区にかけての地域は"カルチエ・ラタン"と呼ばれ、多くの大学が立地し、古くから学生街として知られている。5区には、パリ第1大学 (パンテオン・ソルボンヌ)パリ第2大学 (パンテオン・アサス)パリ第3大学 (新ソルボンヌ)パリ第4大学 (パリ・ソルボンヌ)等のほか、エコール・ポリテクニーク(1976年、パリ近郊に移転)、エコール・ノルマル・シュペリウールなどの名門グランゼコールが所在する。ほかに主要な施設としては、パリ植物園、パンテオンなどがある。

なお、セーヌ川に沿った地域のうち、シュリー橋から下流は「パリのセーヌ河岸」として世界遺産に登録されている。

地理

パリ・5区の詳細地図
国立中世美術館(クリュニー美術館)
ノートルダム・ド・パリから見る、パリ5区 "サント=ジュヌヴィエーヴの丘" (Montagne Sainte-Geneviève)

5区は、パリのほぼ中央、1区の南東に位置しており、セーヌ川の南岸に面している区域である[3]。面積は、2.54 平方キロメートル。

北は、セーヌ川を挟んで、同じパリの行政区である4区に接し、北東のオステルリッツ橋付近のみは12区に接している。東から南西にかけての境界線は弧を描いており、東から南にかけては13区に、南西の一部は"芸術の街" モンパルナス地区の14区に接している。

西は6区に接しているが、5区と共に"カルチェ・ラタン"を形成し、サンジェルマン=デ=プレ界隈とは密接な位置にある。

隣接する自治体(行政区)

地区(カルチェ)

パリ・5区のカルチエ詳細図

パリの行政区は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。5区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。

  • 17 - サン=ヴィクトール地区 (Quartier Saint-Victor)
  • 18 - ジャルダン=デ=プラント地区 (植物園地区、Quartier du Jardin-des-Plantes)
  • 19 - ヴァル=ド=グラース地区 (Quartier du Val-de-Grâce)
  • 20 - ソルボンヌ地区 (Quartier de la Sorbonne)

住民

人口

5区の人口は、1911年に121,378人となり、ピークに達した。しかし、その後は減少を続け、1999年には半分以下の58,849人となった。2005年の推計では60,600人と見積もられており、人口の回復が見込まれている。

また、人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度は、ピーク時の半分以下の23,160人となっている。人口の推移の詳細は、次のとおりである。

区人口 市人口 区人口/市人口 区人口密度 市人口密度 備考
1872年 96,689 1,851,792 5.22% 38,052 21,303
1911年 121,378 2,888,110 4.20% 47,768 33,225 人口がピークに達する。
1936年 107,120 2,829,753 3.79% 42,157 32,553
1954年 106,443 2,850,189 3.73% 41,890 32,788
1962年 96,031 2,790,091 3.44% 37,793 32,097
1968年 83,721 2,590,771 3.23% 32,948 29,804
1975年 67,668 2,299,830 2.94% 26,630 26,457
1982年 62,173 2,176,243 2.86% 24,468 25,035
1990年 61,222 2,152,423 2.84% 24,094 24,761
1999年 58,849 2,125,246 2.77% 23,160 24,449
2005年 60,600 2,166,200 2.80% 23,849 24,920 人口は推計。

歴史

政治・行政・司法

パリ5区役所 (Mairie du 5e arrondissement)

主な官公庁・公共機関

  • 第5区役所(Mairie du 5e arrondissement) - パンテオンの西側界隈にある。同様に、同広場にはパリ第1大学・第2大学校舎がある。

経済

主な店舗・商業施設

健康・福祉

保健・医療

ヴァル=ド=グラース軍病院
  • ヴァル=ド=グラース軍教育病院 (Hôpital d'instruction des armées du Val-de-Grâce
    • Église du Val-de-Grâce(ヴァル=ド=グラース教会)の修道院建物部分が軍病院として用いられていた。現在、Hôpital d'instruction des armées du Val-de-Grâce(ヴァル=ド=グラース軍教育病院ないし軍研究病院)は、国防省直轄のフランス軍衛生部により医学生、看護学生などを対象とした臨床教育施設として用いられている。展示博物館室も置かれている。また、この病院の門衛あるいは石切工として働き、フランス革命中の1793年に"謎の死"を遂げた「Philibert Aspairt」が、現代でもその名が小説やゲーム等で使われている。

学術・研究

研究施設

教育

パリ第1大学(パンテオン・ソルボンヌ)・パリ第2大学(パンテオン・アサス)、パンテオン広場からの眺め
ソルボンヌ大学天文台

大学等

Rue de la Montagne-Sainte-Geneviève

高等学校

※ 以下、主なリセをピックアップ。

詳細は「fr:Liste des collèges et lycées de Paris」を参照

文化施設

美術館・博物館

  • キュリー博物館Musée Curie
  • 鉱物学・地質学陳列館 (Galerie de Minéralogie et de Géologie) - パリ植物園内にある。
  • 国立自然史博物館 (Muséum National d'Histoire Naturelle) - パリ植物園内にある。
  • 古生物学・比較解剖学陳列館 ( Galerie de Paléontologie et d'Anatomie Comparée ) - パリ植物園内にある。
  • 進化大陳列館 (Grande Galerie de l'Évolution) - パリ植物園内にある。
  • 国立中世美術館(クリュニー美術館) (Musée National du Moyen Âge (Musée de Cluny))[4]

動物園・水族館

  • パリ植物園付属動物園 (メナジュリー・デュ・ジャルダン・デ・プラント、Ménagerie du Jardin des Plantes) - パリ植物園内にある。

映画館・劇場

  • ユシェット座 (Théâtre de la Huchette

その他

  • 聖ジュヌヴィエーヴ図書館 (BSG) (Bibliothèque Sainte-Geneviève) - パンテオン広場の北側にある。

宗教施設

サン=テティエンヌ=デュ=モン教会、シャルル・マルヴィル (fr) 撮影(19世紀半ば頃)

キリスト教

  • サン=ジュリアン=ル=ポーヴル教会 (Église Saint-Julien-le-Pauvre
  • サン=セヴラン教会 (Église Saint-Séverin)
  • サン=テティエンヌ=デュ=モン教会 (Église Saint-Étienne-du-Mont)
  • サン=メダール教会 (Église Saint-Médard

その他

パンテオン、リュクサンブール公園(サン=ミッシェル大通り近く)からの眺め

観光・憩い

建築

  • パンテオン (Panthéon de Paris)

公園・緑地等

パリ植物園内のフランス式庭園アルフォンス・ミルヌ=エドワール遊歩道からの眺め

旧跡・記念碑等

交通

鉄道

ギマール制作「エディキュール・ギマール Édicule Guimard」, メトロ サン=ミッシェル駅 (Station Saint-Michel)
RER サン=ミッシェル=ノートルダム駅

道路

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  • シテ島から見る, セーヌ川のサン・ミッシェル河岸 (Quai Saint-Michel)
    シテ島から見る, セーヌ川のサン・ミッシェル河岸 (Quai Saint-Michel)
  • ノートルダム大聖堂, サン・ミッシェルからの眺め
    ノートルダム大聖堂, サン・ミッシェルからの眺め
  • セーヌ左岸5区にあるアラブ世界研究所から見るノートルダム大聖堂背部。2014年元旦
    セーヌ左岸5区にあるアラブ世界研究所から見るノートルダム大聖堂背部。2014年元旦
  • パンテオン, スフロ通り (Rue Soufflot) からの眺め
    パンテオン, スフロ通り (Rue Soufflot) からの眺め
  • クジャス通り (Rue Cujas)
    クジャス通り (Rue Cujas)
  • サン=ジュリアン=ル=ポーヴル通り (Rue Saint-Julien-le-Pauvre)
    サン=ジュリアン=ル=ポーヴル通り (Rue Saint-Julien-le-Pauvre)
  • サン=セヴラン通り (Rue Saint-Severin)
    サン=セヴラン通り (Rue Saint-Severin)
  • 拡張工事前まで道幅80cmほどだった20区 パサージュ・ド・ラ・デュエ (fr), 同87cm〜1mほどの12区サンティエ・デ・メリジエ (fr) 等と共に, パリで最も道幅が狭いシャ・キ・ペシュ通り (Rue du Chat-qui-Pêche)。
    拡張工事前まで道幅80cmほどだった20区 パサージュ・ド・ラ・デュエ (fr), 同87cm〜1mほどの12区サンティエ・デ・メリジエ (fr) 等と共に, パリで最も道幅が狭いシャ・キ・ペシュ通り (Rue du Chat-qui-Pêche)。
  • 1540年に開通。道幅は1m80cm。"シャ・キ・ペシュ"は, "魚釣りをする猫"の意。
    1540年に開通。道幅は1m80cm。"シャ・キ・ペシュ"は, "魚釣りをする猫"の意。
  • シテ島から見るサン=ミッシェル河岸とシャ・キ・ペシュ通り(中央, 建物間を抜ける路地)
    シテ島から見るサン=ミッシェル河岸とシャ・キ・ペシュ通り(中央, 建物間を抜ける路地)
  • ブランヴィル通り (Rue Blainville)
    ブランヴィル通り (Rue Blainville)
  • ポール=ロワイヤル大通り (Boulevard de Port-Royal)
    ポール=ロワイヤル大通り (Boulevard de Port-Royal)
  • アレーヌ通り(ザレーヌ通り、Rue des Arènes
  • アングレ通り(ザングレ通り、Rue des Anglais
  • ウシェット通り(Rue de la Huchette
  • エコース通り(デコース通り、Rue d'Écosse
  • エコール通り(ゼコール通り、Rue des Ecoles
  • オピタル大通り(ロピタル通り、Boulevard de l'Hôpital
    • セーヌ川河岸から5区・13区との境界線上を走る通り。セーヌ川河岸ヴァルユベール広場から13区境界線上を、南西左斜め下に向け13区内中心部イタリー広場まで伸びてゆく。同広場界隈オステルリッツ駅前からオステルリッツ橋あるいはシャルル・ド・ゴール橋でセーヌ川を越えると12区ディドロ大通りからリヨン駅前に出る。13区内を東西に走るヴァンサン=オリオール大通りとに挟まれたサルペトリエール病院の広大な敷地が通り南側沿いを占めている。
  • カルム通り(Rue des Carmes
  • ギャランド通り(Rue Galande
  • グラン=デグレ通り(Rue des Grands-Degrés
  • ケ・サン=ベルナール通り(Quai Saint-Bernard
  • ケ・サン=ミッシェル通り(Quai Saint-Michel
  • ケ・ド・ラ・トゥルネル通り(Quai de la Tournelle
  • クロチルド通り(Rue Clotilde
  • ゴブラン大通り(Avenue des Gobelins
    • 5区内南側でモンジュ通り等と接続するゴブラン織由来の通り名。ゴブラン大通りから先、南側方面は、フォンテーヌブローまで続くパリの南の玄関口、13区内中心部イタリー広場に至る。
  • サン=ジャック通り(Rue Saint-Jacques
    • サン=ジェルマン大通りやエコール通り、スフロ通り、ゲイ=リュサック通り等と交差しながら、カルチエ・ラタンの中央を南北に伸びる通り。4区に位置するシテ島のノートルダム・ド・パリやパリ警視庁、オテル=デュー病院前を走るシテ通りを介して、セーヌ川右岸(北岸)4区サン=マルタン通りに接続し、サン=ジャック塔やリヴォリ通りに界隈に至る。また、ガロ・ローマ時代ないしパクス・ロマーナ期の街ルテティア以来からの目抜き通りになる。通り北から南へ順を追って行くと、17世紀後半〜18世紀前半からの書籍印刷所が数店あり、サン=セヴラン教会、公立幼稚園・小学校のエコール・サン=ジャック (École Saint-Jacques)、少し奥まって建つ国立中世美術館を横に見て、パリ第1・第2(法学部)・第4大学などソルボンヌ大学と、名門リセ・ルイ=ル=グランコレージュ・ド・フランスとに通り左右を挟まれた"学生街"に至る。パリ第2大学(法学部)向かいの同通り158番地、交差するクジャス通りとスフロ通りとの間には、ドミニコ会のジャコバン修道院 (fr) があった[5]。クジャス・スフロ両通りを左(東側)へ折れるとすぐにパンテオン広場になる。さらにサン=ジャックを南に進むと、18世紀前後建造の住居建物群もチラホラ見え、ヴァル=ド=グラース軍教育(研究)病院を横に見ると14区や13区との境界線上を東西に走るポール=ロワイヤル大通りとの交差点に至る。カルフールやピカール等のスーパーがある同交差点を過ぎるとフォーブール=サン=ジャック通りに続いていく。
  • サン=ジュリアン=ル=ポーヴル通り(Rue Saint-Julien-le-Pauvre
  • サン=ジェルマン大通りBoulevard Saint-Germain
  • サン=マルセル大通り(Boulevard Saint-Marcel
    • 5区・13区との境界線上を走る上記オピタル大通り途中を起点にする。同起点から5区との境界線上を引き継ぎ、西側に向かいゴブラン大通り交差点までを繋ぐ。5区内からイタリー広場方向へ南北に走るゴブラン大通りとの交差点で、ポール=ロワイヤル大通りとアラゴ大通りの二手に分岐する。同交差点からポール=ロワイヤル大通りに区境境界線が続き、アラゴ大通りから先は、14区内中心部ダンフェール=ロシュロー広場 (カタコンブ・ド・パリ) に至る。
  • サン=ミッシェル大通り(Boulevard Saint-Michel
    • 5区と6区との"カルチエ・ラタン"の境界線上を南北に走る。6区内を左斜め下に走り、15区内ルフェーブル大通りまで全長4360メートル続く、パリの中でも最も長い通りの一つヴォージラール通りもサン=ミッシェルが起点。リュクサンブール庭園南側でオプセルヴァトワール大通りと接続し、14区内に入る。セーヌ川右岸(北岸)へは、シテ島のパレ大通りを介してセバストポル大通りに接続し、途中ストラスブール大通りと名を変え、パリ東駅まで南北に伸びてゆく。
  • シャンポリオン通り(Rue Champollion
    • サン=ミッシェル大通りとソルボンヌ通りとに並行して挟まれた南北に走る短い通り。界隈はパリ第4大学(パリ=ソルボンヌ)など"ソルボンヌ大学街"。
  • ジャン=ド=ボーヴェ通り(Rue Jean-de-Beauvais
  • デカルト通り(Rue Descartes
  • ナヴァル通り(Rue de Navarre
  • パスカル通り(Rue Pascal
  • ビエーブル通り(Rue de Bièvre
  • ブランヴィル通り(Rue Blainville
  • ベルトレ通り(Rue Berthollet
  • ポール=ロワイヤル大通り(Boulevard de Port-Royal
    • 5区と6区との境界線上を南北に走るサン=ミッシェル大通りがリュクサンブール庭園南側でオプセルヴァトワール大通りと名を変えて続き、そのオプセルヴァトワールとの交差地点を起点に、6区と14区との境界線上を東西に走るモンパルナス大通りから続いて主に5区と13区との境界線上を東西に走る通り。また、同交差点東側至近にあるサン=ジャック通りとフォーブール=サン=ジャック通りとの交差地点界隈にカルフールやピカール等のスーパーがあり、旧パリのポール・ロワイヤル修道院 (fr)、同病院、コシャン病院が(14区内に)ある。
  • ポントワーズ通り(Rue de Pontoise
  • ムフタール通りRue Mouffetard
    • 区内中央南側を南北に走り、北側で上記デカルト通りに接続する。食材店の他、寿司屋などの日本料理店が数件、フランス料理からレバノン、ベトナム、ペルシャ料理までレストランやビストロ、安手なブラッスリー、カフェまで連なる下町的な通り.。
  • モンジュ通り(Rue Monge
    • サン=ジェルマン大通りから区内東側を南北に伸びる通り。南に向かって、2番地にはメルヴェイユ (fr) で知られるパティスリーのオ・メルヴェイユ・ドゥ・フレッド (Aux Merveilleux de Fred)[6]、8番地には1996年創業、東京銀座や世界各地でメゾン・カイザー (Maison Kayser) の名で展開するブーランジュリーエリック・カイザー (en) があり、途中アレーヌ・ド・リュテスが見え、さらに進むと横道を少し入った所にミルフィーユで知られるパティスリーのカール・マルレッティ (Carl Marletti) が、そしてスタバが見えてくるとゴブラン大通りに接続し13区内に入る。
  • モンターニュ=サント=ジュヌヴィエーヴ通り(Rue de la Montagne-Sainte-Geneviève
    • モンジュ通りのサン=ジェルマン大通りとの起点付近からパンテオン広場までを、サント=ジュヌヴィエーヴの丘を縫うように走る通り。途中、デカルト通りが接続する。
  • ラガルド通り(Rue Lagarde
  • ラグランジュ通り(Rue Lagrange
  • ラノー通り(Rue de Lanneau

橋梁

シテ島サン=ルイ島付近の橋

セーヌ川に架かる区内の橋は、次のとおりである(上流から順に列挙)。

広場・交差点

パリの「広場 (プラス、Place)」は、しばしば2以上の道路が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー状の交差点となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスク緑地等に利用されている場合もあり、凱旋門があるシャルル・ド・ゴール広場は世界的に有名である。5区の広場や交差点には、次のようなものがある。

  • コントルスカルプ広場 (Place de la Contrescarpe
  • サン=ミッシェル広場 (Place Saint-Michel
    • 5区と6区の境界に位置している。
  • パンテオン広場 (Place du Panthéon)

船舶

著名な出身者

政治

  • ジャック・シラク(元大統領、元首相、元パリ市長) - ジュフロワ=サン=チレール通り (Rue Geoffroy-Saint-Hilaire) 59番地の医院生まれ。
  • ジャン・チベリ(元パリ市長、元パリ5区長) - 上記シラクの後継パリ市長。5区生まれ[7]

文化

芸能

著名な居住者

貴族・富豪

  • ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール(ルイ14世の公妾) - 1797年に取り壊されるまでヴァル=ド=グラースにあった、カルメル会のフォーブール・サン=ジャック修道院 (fr) に入った。
  • デュ・バリー夫人(ルイ15世の公妾) - 公妾になる前に5区界隈居住。現在のムーズ県ヴォクルール(フランス語版)出身。
  • 徳川昭武水戸藩第11代最後の藩主)
    • 幕末から維新草創期に仏留学中の慶応3年5月(1867年)から3か月間、凱旋門近くパリ16区フォッシュ街界隈ペルゴレーズ街 (Rue Pergolèse) 53番地のロシア貴族邸を借り住居とした[10]。その8年後の明治11年(1878年)に再び仏留学をし、前回の国賓待遇とはうって変わってパンテオン近くパリ5区エストラパッド街 (Rue de l'Estrapade) に居住し、パリ17区にあるエコール・モンジュ(現リセ・カルノ)に通った[11]

政治

学者

文化

ゆかりの人物

スポーツ

その他

5区を舞台にした作品

映画

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ フランス語の 「5e 」 = 「cinquième 」 は、英語の「fifth 」 に相当する序数。「第5の」 「5番目の」を意味する。したがって、原語の「5e arrondissement 」を直訳すると「第5区」となる。
  2. ^ レジフランスLégifrance). “地方自治一般法典 (Code Général des Collectivités Territoriales (CGCT))” R2512-1条. 2008年6月26日閲覧.
  3. ^ セーヌ川の左岸にあたる。
  4. ^ 布施英利『パリの美術館で美を学ぶ ルーブルから南仏まで』光文社、2015年、109頁。ISBN 978-4-334-03837-3。 
  5. ^ 1800年から1849年の間までに取壊されたが、同年、13区グラシエ通り東側を並走するタヌリ通り (fr) に再建された。同会修道院はサントノーレ通りにも置かれ (fr)、それはまたジャコバン派の名称の由来となった(「fr:Couvent des Dominicains (Paris)」も参照)。
  6. ^ その他マレ地区パリ4区ポン・ルイ=フィリップ通り (Rue du Pont Louis-Philippe)・7区サン=ドミニク通り (Rue Saint-Dominique)・16区ラノンシアション通り (Rue de l'Annonciation)、その他12区15区17区やブローニュ=ビヤンクールなどパリ市内外、リール、ボルドー、ロンドンケンジントン在英仏大使館界隈やベルギードイツなど欧州域内でも展開するパティスリーチェーン店。
  7. ^ Jean Tiberi : bio express Par Juliette Cua, L'Express, publié le 02/02/2009
  8. ^ Acte de naissance no 2179 (p. 6), registre des naissances de l'année 1875, mairie du 5e, sur le site des archives numérisées de la Ville de Paris.
  9. ^ Yannick Ripa, « Cléo de Mérode ou la mauvaise réputation », L'Histoire no 455, janvier 2019, p. 68-71.
  10. ^ 徳川慶喜・昭武関係年表一 松戸市教育委員会生涯学習部 戸定歴史館
  11. ^ 徳川慶喜・昭武関係年表二 松戸市教育委員会生涯学習部 戸定歴史館
  12. ^ 1894年、国外追放された“青年トルコ人”運動家で、「オスマンの統一」をパリを拠点に再結成した「統一と進歩委員会」結成者。
  13. ^ 建部遯吾「四 土耳其の革命」『世界列国の大勢』同文館、1913年、351-353頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/949381/236 
  14. ^ "De la fenêtre du salon, on découvrait l'Arc de Triomphe. Aux murs, recouverts d'un papier moiré, un beau portrait du père de l'artiste par Marcelin Desboutin, une gouache de Paul Sordes et deux estampes japonaises. Rien n'indiquait au visiteur l'habitation d'un compositeur de musique. Ce magicien aimait à escamoter jusqu'à l'appareil de ses tours. Il était rare que l'on vît traîner un crayon ou une feuille de papier réglé sur la table ou sur le piano, lequel était presque toujours fermé."
    以上の引用は、Colette, et al. Maurice-Ravel par quelques-uns de ses familiers, Tambourinaire,‎ より。
    「"カルノ大通り4番地"」も、以下のサイトより参照 (lire passage en ligne sur le 4, avenue Carnot)。"extraits en ligne" (フランス語). 2014年9月4日閲覧
  15. ^ « Place Monge (Paris) » associationclaudesimon.org.
  16. ^ その前年1974年9月には、パリ・サンジェルマン・デプレ地区のユダヤ系大手広告代理店ピュブリシス・グループの薬局で、1972年6月に在西独米軍基地から盗まれたM26手榴弾を投げつけて2名の死者、34名の負傷者をだした爆弾テロに関わる(ピュブリシス薬局テロ事件, fr)。その他に、1982年4月22日にパリ8区マルブフ街にある「アル=ワタン・アル=アラビー」紙編集部爆破 (fr) などパリやフランス国内連続テロ事件を次々決行した。現在、パリ郊外ポワシー監獄に収監されている。

参考文献

  • MICHELIN, ed (2007) (フランス語). Plan Atlas 56 – Paris du Nord au Sud –. MICHELIN. ISBN 978-2-06-710591-1 (パリ市内の詳細地図。)

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、パリ5区に関連するカテゴリがあります。
  • パリ市役所公式サイト (フランス語) (英語) (スペイン語)
  • パリ・第5区役所公式サイト (フランス語)
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