野史

曖昧さ回避 この項目では、歴史学における用語について説明しています。日本の史書については「大日本野史」をご覧ください。

野史(やし、拼音: Yě shǐ)とは、歴史学における用語であり、正史の対義語にあたる。稗史(はいし、拼音: bài shǐ)ともいう。“正史”に記録されていないか、“正史”とはされなかった民間で編纂された史書や、または伝聞の記録、民間に伝わる話、およびそれらに基づいて編纂された史書を指す。必ずしも虚構とはいえない、とされている。例えば、『漢書』「芸文志」は如淳の言葉を引いている。 「細米爲稗、街談巷説、甚細碎之言也。王者欲知里巷風俗、故立稗官、使稱説之。」

余嘉錫は『小説家出於稗官説』のなかで、「稗官者天子之士也」としている。周楞伽の『稗官考』では、稗官は「天子之士」であるという説に反対している。

中国歴代王朝の正史は皆儒家士大夫が編集したものである。正史においては勝者を王となしており、また儒学の理想に合うようになっており、曲筆や欺瞞もないわけではない。『論語』の中で紂王が「天下之悪皆帰焉」とされているように、正史では真実が隠されていることがある。また、苻堅の即位に関する記載など、事蹟が改竄されていることもある[1]唐太宗は、玄武門の変についても記述を変えさせている[2]。野史は中国の歴史の真相を研究する上では、参考にする価値があり、軽んずるべきものではないとされている[3]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 洛陽伽藍記』には北魏隠士である趙逸が述べていることを次のように記載している:“苻生雖好勇嗜酒,亦仁而不殺。観其治典,未為凶暴。及詳其史,天下之悪皆帰焉。”
  2. ^ 資治通鑑 (貞観十七年)初,上謂監修國史房玄齢曰:“前世史官所記,皆不令人主見之,何也?”對曰:“史官不虚美,不隠悪,若人主見之必怒,故不敢獻也。”上曰:“朕之爲心,異于前世。帝王欲自觀國史,知前日之悪,爲後來之戒,公可撰次以聞。”諫議大夫朱子奢上言:“陛下聖德在躬,擧無過事,史官所述,義歸盡善。陛下獨覧起居,于事無失,若以此法傳示子孫,窃恐曾、玄之後或非上智,飾非護短,史官必不免刑誅。如此,則莫不希風順旨,全身遠い害,悠悠千載,何所信乎!所以前代不觀,蓋爲此也。”上不從。玄齢乃與給事中許敬宗等刪爲高祖、今上實録;癸巳,書成,上之。上見書六月四日事,語多微隠,謂玄齢曰:“周公誅管、蔡以安周,季友鴆叔牙以存魯,朕之所爲,亦類是耳,史官何諱焉!”即命削去浮詞,直書其事。
  3. ^ 中国野史 名人軼事 後宮秘史 - 華夏野史网

関連項目

外部リンク

  • 野史漫谈