李延寿

二十四史
二十四史
司馬遷史記
班固漢書
范曄後漢書
陳寿『三国志』
房玄齢等『晋書
沈約宋書
蕭子顕南斉書
姚思廉梁書
姚思廉『陳書
魏収魏書
李百薬北斉書
令狐徳棻等『周書
魏徴長孫無忌等『隋書
李延寿『南史
李延寿『北史
劉昫等『旧唐書
欧陽脩宋祁新唐書
薛居正等『旧五代史
欧陽脩新五代史
脱脱等『宋史
脱脱等『遼史
脱脱等『金史
宋濂等『元史
張廷玉等『明史
二十六史
柯劭忞等『新元史
趙爾巽等『清史稿
その他
班固・劉珍・蔡邕等『東観漢記
中華民國版『清史(中国語版)
中華民國版『新清史』(未完)
中華人民共和国版『清史(中国語版)

李 延寿(り えんじゅ、生没年不詳)は、歴史家は遐齢。本貫隴西郡狄道県(現在の甘粛省定西市臨洮県)。代々相州に住んだ。高祖父は李虔。曾祖父は李曉。祖父は李仲挙。父は李大師。叔父は李行師。

李延寿の父の李大師は、末に竇建徳に仕えて礼部侍郎となり、竇建徳の滅亡後に会州に流されたが、後に赦された。李大師は編年体の南北朝通史の執筆を構想して、編纂を開始していたが、志半ばで628年に死去した。李延寿は父の未成の南北朝通史を引き継ぎ、16年かけて『南史』80巻、『北史』100巻を完成させた。659年に正史として公認された。

李延寿は、唐の太宗に仕えて、太子典膳丞・崇文館学士を務めた。『隋書』や『晋書』の編纂に参与して、御史台主簿となり、直国史を兼職した。最後は符璽郎に任ぜられ、修国史を兼任して、まもなく死去した。他に『太宗政典』30巻があった。

伝記資料