日置忠寿

日置 忠寿(へき ただひさ、享保15年12月19日(1731年1月22日) - 寛延3年3月7日(1750年4月13日))は、江戸時代中期の武士岡山藩家老。備前金川1万6000石の領主。

父は岡山藩家老日置忠昌。母は側室。婚約者は備中生坂藩藩主池田政晴の娘八重子。幼名は興之丞。通称は織部。

享保15年(1730年)12月19日、日置忠昌の次男として岡山に生まれる。元文4年(1739年)、父の家督を継いでいた兄忠盈が江戸で急死し、その養子となって家督相続し、岡山藩家老、備前金山1万6000石の領主となる。寛延3年(1750年)3月7日、疱瘡にて没した。家督は弟の忠芳が相続した。婚約者の池田八重子は、実家に戻って旗本松平忠庸に嫁いだ。

参考文献

  • 『池田老臣累記』
  • 『備前家老略伝』
金川日置家第6代当主(1739年 - 1750年)

(真斎 - 忠勝 - 忠俊 - 忠治 - 忠明 - 忠昌 - 忠盈 - 忠寿 - 忠芳 - 忠辰 - 忠英 - 忠章 - 忠弼 - 忠尚 - 健太郎 - 忠 - 健太郎 - 徳太郎

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